柔術道場 トライフォース柔術・池袋アカデミー公式ブログ

東京都豊島区池袋のブラジリアン柔術道場です。 日々の情報をお伝えします!

早川コラム

全日本マスシニ2013総括

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※大会翌日の朝クラスにて

こんにちは、早川です。

昨日は第7回全日本マスター&シニア選手権大会でした。トライフォース柔術アカデミーは通算4度目、2連覇となる団体優勝でした。みなさんおめでとうございます。

と言いましても、いつものごとく全く実感がないのがこの柔術式団体優勝システムです。今回も「大会にみんなで出ようぜ!」的な空気を作ってはおりませんし、この大会に限らず、大会告知もうちはポスター貼ってそれで終わりなので、私の預かり知らぬところで、みなさんが自主的にエントリーし、各自でがんばって下さり、優勝をプレゼントして頂いている。そのような感覚です。

出場したほとんどの生徒が表彰台に乗ることが出来ました。団体表彰は個人ポイントの累積による表彰なので、指導者の誉れであることは間違いありません。直近の2連覇は池袋本部の成績のみで達成していますが、今回はトライフォース新宿も支部の成績のみで団体2位に食い込んでいたことに驚きました。

新宿支部はオープン3年目の団体です。私も芝本も、自分達の指導カリキュラムに改めて自信を持つ事が出来ました。やはりある程度時間が経たないと検証できなかったことですが、新宿はほぼ初期から現在のカリキュラムを導入していますので、結果がある程度出てきたかなと思います。特にマスター、シニア層、そして女子が実力を付けていることによって、それを強く感じます。

それではみなさん、また日々の練習をがんばってまいりましょう。 

芝本幸司、ヨーロッパ選手権2013の結果

こんにちは、早川です。

芝本のヨーロッパ選手権2013の結果は、決勝戦で一本負けでした。残念でした。みなさん応援ありがとうございました。表彰台常連組のフェリペコスタやバラタフレイタスとは、僅差で勝ったり負けたりするレベルにまではなっていたので、カイオとブルーノ以外に一本負けするような相手がまだいたのかと衝撃を受けました。やはり世界までの道のりはまだ厳しいなと感じざるを得ない結果となりました。

IBJJFのトーナメント方式では、序盤戦で世界王者クラスと当たって敗北しているだけで、実力的には表彰台にいつでも乗れるレベルの選手はたくさんいるんだという事を、私自身の経験からも思い出しました。今後、ランキングによるブロック分けが徹底されていけば、そういった事も減っていくとは思いますが、しばらくは続くでしょう。まだ倒さなければならない強豪がたくさんいることは間違いありません。

今後も芝本には、変わらず黙々と練習を続けてもらいます。才能もはっきり言って人並です。もっと才能のある弟子は他に何人もいました。芝本は単なる寡黙な努力家です。結果を出すまでは、セミナーをやることも、DVDを作ることもないでしょう。自己顕示欲がない男なので、メディアへの露出にも興味がありません。世界の最前線で戦っているのは自分しかいないと、彼自身がよく分かっているので。

芝本は、猪木と馬場でいったら馬場タイプの男です。私は常に、新日より全日、猪木より馬場、天龍より鶴田、長州より藤波、武藤より三沢を応援してしまうタイプでした。なんだか分かりませんが地味な方が好きです。私はこれからも芝本を全局面でサポートし、最後の高みに到達してもらえるよう師弟で全力を尽くします。

デラヒーバ杯の感想

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こんにちは、早川です。

日曜日はデラヒーバ杯が開催されました。トライフォースからもたくさんの選手が出場しましたね。

真鍋さんが撮影して下さったTFチャンネルで、みなさんの試合をさっそくチェックさせて頂きました。真鍋さん、いつも撮影ありがとうございます。

みなさんの元気はつらつとした試合、どれも素晴らしかったです。タンニングは3試合を3本勝ち。強いタンニングが見られました。普段の練習通りの動きを試合で出せたことが良かったと思います。そういえば1回ももぐってなかったですね!

試合に初挑戦した白帯の会員さんも多くおられましたね。勝っても負けても、自分の成長の証を確認出来る良い機会になった事と思います。若手のリキの健闘が光っていました。たくさん練習をすればもっともっと強くなるでしょう。

同じく若手の篠田は、3試合勝っての優勝でした。おめでとう。練習したスイープも出せていましたね。何よりも嬉しかったのが、篠田が決勝戦で勝って歓喜の声をあげたいのをグッとこらえ、対戦相手へ深々と頭を下げ、礼をしていたことです。とても立派でした。その時の篠田の何とも言えない表情に、私の顔もほころんでしまいました。

アマチュア競技会の試合には、勝敗以上とまでは言いませんが、勝敗と同じくらい大切な事があります。試合を通して、自分でも気づかない内面を知ることも出来ます。

たとえば対戦相手に敗北したとしても、自分の中の何かを克服出来たと感じたときには、試合をして本当に良かったという充実感が得られるものです。

またそれが勝利したときであれば、単に勝つだけでは得られないプラスαの喜び、感動が得られるものです。 

逆に、たとえ勝利したとしても、レフェリーの死角をついて反則を犯してしまっていたとしたらどうでしょうか。対戦相手への礼節を欠いた行為をしてしまっていたらどうでしょうか。そこには何か後味が悪いものが残るはずです。

篠田は家に帰ってからも、すがすがしく喜べたんじゃないかなと、私は思っています。歓喜の雄たけびをあげてお母さんに怒られたかもしれませんね。

ブラックベルト上山さん

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今回の帯授与式では、上山さんに黒帯を授与しました。上山さんへの黒帯授与は、トライフォースが次のステージへ進んだことを感じさせてくれます。

これまで私が黒帯を授与した植松、渡辺、石川、中山、芝本の5人は、世界柔術、アジア、ヨーロッパ、東京国際等の各選手権において、優勝、入賞経験を保持する者ばかりです。彼らは20代の全てを柔術に捧げ、現在はプロの指導者として道場を構えています。

彼らとは師弟関係であると同時に、芝本を除いては、柔術第一世代として共に戦った盟友であり、同じ試合会場の同じマットの上で戦ってきた仲間でもありました。

一方の上山さんは、30代半ばから、格闘技未経験の白帯として私の下で柔術を始め、ここまでたどり着いた生徒さんの第一号です。お医者さんとしてお忙しい日々を過ごしながら、毎日コツコツと練習を積み重ねて来られました。試合にも積極的に参加し、これまで優勝してきた大会は数知れません。先日のアジアオープンでも二冠王となりました。

また上山さんは常に道場生のお手本でもあり続けてくれました。毎日の練習では、ウォームアップから真剣に取り組み、テクニックの反復練習も決められた時間を黙々とこなします。進んで掃除機の役を買って出て下さるのも上山さんです。更衣室では荷物を小さく畳み、シャワー待ちでは譲り合い、道場の親睦会には欠かさず参加し、帯授与式には必ず列席し、大会があれば仲間の応援に駆けつけて下さいます。上山さんの尊敬出来るところは数えきれません。

そんな上山さんに、私からの卒業証書を送ることが出来て感無量です。私は単なる柔術の評価者に過ぎませんので、人間としては、尊敬する上山さんの姿勢を学びつつ、今後も道場で共に汗を流していく所存です。上山さんの黒帯昇格から始まるトライフォースのセカンドステージでは、今後もたくさんの黒帯が誕生していくことを楽しみにしています。

全日本2012団体優勝

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全日本選手権に出場されたみなさんお疲れ様でした。

トライフォース柔術アカデミーは、二年ぶり二度目の団体優勝を果たしました。トライフォースの名を背負って出場してくれた全てのみなさんの健闘に感謝します。ありがとうございました。

副賞の世界柔術2013チケットの贈呈者は、今大会で優勝した各支部のチャンピオンの中から抽選で選びたいと思います。次回コンペクラスの際にトオルさん、シバモンと選んで、発表させて頂きます。

いつも申しておりますが、柔術の団体優勝は、個人戦の積み重ねによって結果的に得られるものですので、特別にそれを狙ったりすることはありません。

自然な形で、結果的にそのような栄誉と副賞を得られたならば、とても喜ばしいことだと思っています。

池袋道場では、私は試合出場の勧めや大会告知をする事はほとんどありません。今大会も告知こそ多少したかもしれませんが、「みんなで出ようぜ!」的な話をすることは全くありませんでした(後述致しますが、それは私の中である思いがあるからです)。

しかしふたを開けてみると、全日本選手権とノービスオープンには、いつも以上に多くの生徒さんが参加してくれていました。驚きを覚えるのと同時に、みなさんの向上心の高さに改めて感心致しました。

「柔術は護身術だ。負けないことが最も重要であり、負けないための戦い方をしなければならない。しかし試合は自分が望んで出るものだ。だから前に出る戦い方をしなければだめなんだ。」

私は師である平先生からこう教わりました。また平先生もカーリー・グレイシー先生からそのように教わったと聞きます。

私自身、「試合に出ろ」と先生から言われた事は一度もありません。誰に背中を押されるでもなく、尻を叩かれるでもなく、ある日自分で意を決し、やると決めた戦いだからこそ、覚悟も定まるものです。

実際の勝敗にかかわらず、試合を通して、昨日の自分より一歩でも前に進めたと思えたならば、その時点でみなさんはある意味の勝者であると、あえて言わて頂きます。

トライフォース総代表
早川光由

いざ!世界柔術へ

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こんにちは、早川です。

世界柔術選手権大会2012がいよいよ間近に迫っております。

トライフォース池袋・新宿からは、芝本、澤田の2名が参戦します。

二人とも、この日の為に血のにじむような練習をしてきました。私もLAへ帯同し、出来る限りのサポートをして参ります。

澤田にとっては初めての海外、初めての国際大会であり、初めて尽くしの冒険となります。

入門当時はひょろひょろだった澤田は、今や誰もが一目置く実力者となりました。貫禄すら感じます。

澤田のモットーは「3倍努力」でした。私はあえて言おう、君はそれ以上の努力をしてきたと。

1日2コマ、3コマの練習を週7日、ほぼ休まず続けて来ました。

初海外に臆することなく、持てる力を存分に発揮して下さい。君ならやれる。

芝本は、昨年の世界大会直後から、1年掛りのトレーニング計画を練り、それを実行し、ここに至っております。

その過程では、1月のヨーロッパ優勝、4月のパン3位と、その成果を試す機会も得ております。

芝本からは、自信のない発言や、言い訳じみた言葉を、入門当時から一度も聞いた事がありません。

とことんまで自分に厳しい男です。己を律する男です。この1年間でやるべきことは全てやったぞと、胸を張って自負して欲しいです。

技術的に詰められる部分は可能な限り詰められたと思います。私が今さら言うべきことはありません。

まさに「時は来た、それだけだ」の境地といったところでしょう。最後の極みに到達して下さい。

最後になりましたが、今年も、選手の海外遠征に当たりましては、トライフォース会員の皆様から、温かいご支援を頂きました。

この場を借りて、私からも御礼を言わせて頂きます。ありがとうございます。

私もみなさんと共に、二人の健闘を心から期待したいと思います。

子供が産まれました

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こんにちは、早川です。

私ごとではございますが、2月7日に我が子が産まれました事を、みなさまにご報告させて頂きます。

母子ともに無事でございます。

いつもお声を掛けて下さったみなさま、ありがとうございました。
 
今後は、子を持つ親としても一層精進してまいります。

子供達の為にも、「平和で豊かに暮らしていける日本」を、私達の世代が引き継ぎ守っていかなければなりませんね。

みなさんと共にがんばってまいります。

祝ネクサセンスオープン 植松君と私

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植松直哉君が新道場「ネクサセンス」をオープンしました。

おめでとうございます。これからは植松君の可能性を存分に発揮し、格闘技に賭ける情熱と想いをそのマットの上に広げていって下さい。

私はオープンパーティには出席出来なかったのですが、多くの格闘家が集まるにぎやかなパーティだったようですね。

道場オープンに添えて、少し想い出話を書かせて頂こうと思います。

植松君は柔道、サンボ、ムエタイ、MMA、BJJとあらゆる格闘技を学び、それぞれの分野で輝かしい成績を残している数少ないマルチファイターの一人です。

私の師匠の平直行先生のような天才肌の格闘家です。

現在の植松君は、自身のアイデンティティーの軸にBJJを据えているとは思いますが、植松君のBJJの理念は、単なるスポーツ競技の範疇に収まるものではなく、武術に携わる者として私も多くの価値感を彼と共有しています。

植松君は私を柔術の師匠と公言してくれています。所属が違う柔術家に私が黒帯を授与した唯一の人であり、今も師弟の信頼関係を強く感じています。私の持てるあらゆる技術を、何百回という乱取りを通じて伝えることが出来た柔術家の一人でもあります。

彼との出会いの記憶はおぼろげですが、1997年頃、中井祐樹先生が主宰するパラエストラの昼柔術であったかと思います。私達世代の柔術家は、みんな昼柔術で最初に出会っている事が多いです。

当時の私は白帯でしたが、すでに中井先生から青帯をゆるされ、注目される選手としてBJJの練習に取り組み始めた植松君は、スターの風格を漂わせていました。今思うとその時の彼はまだ高校生でした。私は何の運動経験もないまま20歳を過ぎてから柔術をはじめましたので、小さいころから柔道やレスリングで活躍していた選手のみなさんが輝いて見えたものです。そんな中でも彼のオーラは別格でした。この話は植松君に今まで一度もした事がありませんね。

年下なんだろうけど、どこか威厳があり、私が口を聞けるような存在には感じられず、昼柔術では何度かニアミスした程度で乱取りをした記憶は実はありません。

それから特に接点もなく、2年ほどが経ち、次に交流の機会を持ったのが2000年でした。その時の私は紫帯を巻くに至っており、国内外でそれなりの実績を残すところまでたどり着いていました。当時の練習仲間であったPUREBRED大宮の野口君と、前年度に優勝した柔術の団体戦の連覇に向けて、出場するメンバーを集める相談をしていました。

まず当時セミリタイア中で、合気道の練習を主にされていた和道さんを口説き、そして私の同門であり正道柔術クラス最強の一人であった山崎剛君、野口君の同門であり後のコパドムンド王者にもなるシッシーこと宍戸君に参加してもらえることにもなりました。出場要件の5人のメンバーは揃ったのですが、最大6人までメンバーを登録出来るということで、和道さんが最後の一人として当時かわいがっていた植松君を入れようと提案してくれました。

和道さんの話をするとそれでまたひとつ物語が出来てしまうのですが、和道さんとの出会いも昼柔術でした。最初に乱取りさせて頂いた時は当たり前ですがコテンパンにやられまして、しかし私の動きも気に入ってもらえたのか、名前を覚えて頂き、その後は正道柔術クラスにも遊びにいらしてくれて、所属の違う私達に分け隔てなく本場ブラジルの技術を指導して下さいました。

しかしご本人は(今も理由は知らないのですが)、その時すでに競技からは一線を引くと決めておられたようで、そんな勿体ない事はさせたくないと、私と野口君で口説き落として何とかチームに入って頂き試合に出てもらいました。その後、結果として和道さんは競技者として完全復活を果たすことになりました。

話は戻りますが、当時そのような和道チルドレン的な存在が各道場に点在しており、おそらく植松君もその一人であったろうと思います。いやもしかしたら中井チルドレンであったかもしれませんが、とにかくあらゆる先生方、先輩達から技術を吸収し強くなっている真っ最中だったと思います。

団体戦前にチームで顔合わせ的な練習会をやったかどうかは覚えておらず、当日会って始めて正式に挨拶したような気もします。いずれにせよ、こちらも格闘家っぽくなってから改めて出会った植松君の印象は、最初に会った時と変わらぬイメージのままでした。

そして最初に彼の口から出た言葉は、「チームに入れて頂いてありがとうございます。非常に恐縮しております」的なものでした。奢りがない誠実な人間であると、その最初の言葉ですぐに分かりました。それは今に至るまで一貫してそうです。本当に強い者が持つ余裕すらその時感じました。

その大会は無事私達のチームが優勝出来ました。全員が大活躍でした。植松君の試合は1試合だけでしたが戦慄を覚える内容でした。対戦相手は私も良く練習させて頂いた事のある実力者でした。試合巧者で知られる対戦相手にポイントのリードを許していた植松君が、アキレス腱固めを一閃。基本的に練習でもほとんどタップしない方だったのですが、その時はたまらず悶絶タップしていました。そしてしばらく立てなくなるほどのダメージを負っていました。

これが植松君との二度目の接点でした。そしてその後は、どこかで会えば話をする程度の仲ではあったと思いますが、特に練習を共にする機会はないまま時が過ぎました。

2002年には、私が黒帯に、植松君は茶帯になるところまでお互い成長していました。2003年からは、私はさらなる実力アップのために和道さんと多くの練習を共にする必要性を感じ、和道さんの昼の練習会に参加させてもらっていました。その練習会には私を含む他道場の実力者が集まっており、植松君も参加していました。

練習会には和道さんの弟子のナオさん、弘中、荒牧、宮口さんなど強豪が揃い、私もそこにマッチョドラゴン石川さんを合流させたりと、どんどんメンバーの層が厚くなってきました。そして遂にチームとしてのジャパンファイトチーム(JFT)を発足させたのです。植松君との本格的な交流と練習もそのJFTからスタートしました。意外かもしれませんが、お互い相当な熟練者になってから一緒に練習し始めたのです。

JFTでは本当にハードな練習をこなす事が出来ました。人生で二度最大の練習期があったとすれば、昼柔術時代とJFT時代を挙げられます。ハイレベルな練習により、私の実力も過去最高のレベルに達していたと思います。夏のブラジル修行へ行くたびに、「JFTの方が練習になるな」と実感出来たほどでした。

それだけの練習を一緒にやっていた訳ですから、メンバーとは心も通じ合い、とても仲良かったです。みんなで一緒に飲みに行ったりスパ行ったり旅行へ行ったり、今思うとあれは現実か?と思うほど仲良かったですね。いや今もみんな普通に仲良しなんですが、旅行行ったりとかはもう出来ないよな、という意味で(笑)。

メンバーの中でも植松君とナオさんは、競技柔術以上にグレイシー柔術に多大な興味を持っており、私はJFTの練習時間外にはセルフディフェンスを教えたりしていました。植松君はMMAでも実績のある選手なので、手首を取ってこう返すとか、本当に意味あるのか的な技には全く興味がないと思っていたのですが、むしろその真逆で、格闘技というフィールドにおいてはあらゆる可能性を排除せず、貪欲に誰よりも多くを学ぼうとしていました。

そして時は2005年、おそらくこの年が植松君の柔術人生にとって大きなターニングポイントになったのではないかと思っています。JFTメンバーはこの年も例年通り世界選手権に合わせたブラジル修行を行いました。毎年人数が増え、メンバーは色々な組み合わせでアパートを借りて住むようになったのですが、確か2005年は早川、石川、植松で同じアパートに住んでいた期間が長かったです。桑原君、トオルさんも後半の何週間かは一緒に暮らし、最大5人くらいで共同生活していた記憶があります。毎年楽しかったですが、あの年はいつも以上に楽しかったですね。気分はトキワ荘でした。

植松君はこの年、世界選手権には初参加でした。いきなり茶帯でのチャレンジでしたが、結果はみなさんご存知の通り3回勝利して決勝まで進み、決勝戦で佐々君に敗北して銀メダルとなりました。その時はマットサイドまでコーチパスで入る事が出来たので、植松君には私が、佐々君には中井さんがセコンドに付き、力の限り応援しました。両選手と何度も練習をしたことがある私は植松君の勝ちを確信していたのですが、佐々君のその日のパフォーマンスは超人的でした。完敗だったと思います。スパイダーガードから脱出出来ず、悶絶する植松君と何度も目があったのですが、私にもアドバイスが見つかりませんでした。

世界選手権を終えて、帰国までの数週間の日々はみんなそれぞれの修行に当てました。植松君は現在も交流が続いているフレジソン・パイシャオン選手とその師であるオズワルド・アウベス先生の下で、充実した練習の日々を送っていました。

昼はみんなでビーチへ行ったり、洗濯を済ませたりし、夜は私はアリアンシへ、植松君はアウベス道場へ、石川さんはブラザで練習し、時間があえば帰ってから一緒に飯を食い、毎晩夜遅くまで話し込みました。こういう話を書くとそれだけで涙が出そうになるのですが、時間を忘れて友と語らった想い出は、いつまでも鮮明に残っています。

ある夜、植松君と夜中の3時くらいまで食卓で話し込んだ日がありました。今までの格闘技人生を振り返って語る植松君は、特に情熱を注いできた修斗への想いも語ってくれました。が、しかし修斗は競技であって技術ではない、自分は色々な格闘技を器用に学んできたが、格闘家としての自分のアイデンティティーはどこにあるのかと考えた時、自分は空っぽだと、そんな内容の話をしたかと思うと、彼は涙ぐみました。

植松君は感情が高まると、試合に勝った時も負けた時も涙を流す事がしばしばあります。月並な言葉ではありますが、一生懸命に努力してきた者にしか流せない涙だと思います。

格闘家としての己を問うた時に感じる苦悩も、誰よりも真面目に、ひたむきにそれと向き合ってきた人間だからこそ持つ、特別な感情ではないでしょうか。

そしてその日を境に、植松君は柔術家として生きる腹をくくったのではないか、私はそう思っています。 ブラジルの世界選手権の決勝戦という大舞台は、これまでの彼の人生の中でも最高峰の経験のようでした。もう一度そこへ到達したい、そして今度こそ勝利をつかみ取りたい、そんな想いを熱く語っていました。

帰国後すぐに、私は植松君に私からの黒帯を巻いて欲しいと伝えました。植松君は快くそれを受け取ってくれました。茶帯でまだなすべきことがあると思っていたかもしれないので、受け取ってもらえるか心配でしたが、すごく喜んでくれました。

私にとって彼への黒帯授与は、惜しみなく全ての技術を伝えていく決意を固めたということでした。私を第二の師匠のように慕ってくれている柔術家はたくさんいるのですが、植松君はそれを公言してくれている唯一の存在なので、私もその思いに応えていこうと思いました。

その後のお話は、最近まで続く話になりますので、また何か別の機会にでも。

植松君、ようやくの道場オープンだね。新たな旅の始まりを心から祝っています。

君が探し求め続けた事のその答えは、その無限の可能性を秘めた道場で、君がこれから出会う多くの生徒や仲間達と共に歩み、探し続けていって下さい。

お互い道場を持ち、家庭を持つ者として、これからは一緒に練習をする機会はそんなに作れないかもしれませんね。

しかし時間がある時はまた共に汗を流しましょう。

それでは。 

早川光由 

謹賀新年

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明けましておめでとうございます。

本年もトライフォース柔術アカデミーを宜しくお願い致します。

トライフォース総代表
早川光由

トライフォースの帯制度2012について

こんにちは、早川です。

前回の授与式でお話した通り、2012
年よりトライフォース池袋&新宿の帯制度を以下のように定めたいと思います。

トライフォースの帯制度

これまでのトライフォースの
帯制度のページでは、の昇格には技術の習得度」、「平素の練習状況」、「スパーリング・試合等における実力」を評価すると明記していましたが、池袋&新宿の会員数もたくさん増えたことから、この3つの要素を、なるべく正確かつ公平に評価する制度を導入したいと思います。

新しい評価
制度では、練習日数(ログイン回数)と各での在位期間を、次のへ昇格するための必要要件として定めます。それらをクリアした上で、さらに早川または芝本による、技術錬度、及び実力の査定と承認が必要になります。査定はクラス内のスパーリング内容に加えて、練習試合またはJBJJF公式戦の成績を考慮致します。

また実力の査定は
年齢別、体重別で相対的な評価を致します。絶対的な強さが求められがちなブラジリアン柔術の
ですが、私の考える評価方法はあくまでも年齢別、体重別の比較です。それをここに明記しておきたいと思います。世界のスタンダードもそうであると私は認識しています。

ストライプに関しては、今後は各
に必要なログイン回数を4つに区切り、その回数をクリアするごとに授与していきます。ストライプ数は実力の評価ではなく練習キャリアをどれだけ積んでいるかという目安にして頂ければと思います。

指導スキルについては、現在の私はこれまでの経験を踏まえて、
指導者と競技者の適性は分けるべきとの考えに至っています。紫
はもちろん、黒を授与するにあたっても、今後は指導者としての適性やスキルを要件として含めないものとします。これも今まで曖昧にしていた部分(もしくは「必要である」と考えていた時期もありました)ですが、私の評価基準として改めて明記させて頂きます。

ただし一方では、上記の必要要件を満たした上で、なおかつ高度な指導スキルを身につけた者、または指導者認定を受けるレベルにある者は、技術錬度が実力を補っていると評価します。
昇格の為の一つの方法であるとお考え下さい。指導スキルは、なくても問題ないがあれば評価するという事です。

指導をするには指導をするための特別な知識や学習が、当然のことながら必要になります。指導スキルは
が昇格したからといってある日突然身につくものではありません。指導者育成に関してはまた別途コースを設けて、近い将来実施していきたいと考えています。

これまでに述べた評価基準を設けたことにより、今後はどれほど強くても必要要件を満たさなければ
は昇格出来ませんし、その逆の場合でも、要件を満たした上で高度な技術錬度を示せればが昇格するチャンスはあります。各々のフィールドでなすべき事をなし、実力、技術力の向上を目指して頂ければと思います。

次にNO-GI
と護身術についてのお話です。NO-GIへの対応能力と護身術の習得についても、現在の私の考えを改めて明記しておきたいと思います。

黒帯を授与するにあたっては、私は
NO-GIへの対応能力を生徒に求めたいと思います。護身術の習得に関しては、それを特には求めないでおこうと思います。

ライフォースでは環境的には存在しておりませんが、現在の柔術シーンにおいては国内・海外を問わずNO-GIの練習のみに専念している競技者は少なくありません。そういった新しい世代の柔術家達が世界的に増え続けているのは事実です。

彼らには「サブミッションレスリング=柔術」という概念があり、道衣を着ているか否かはさほど重要ではないようです。自分達がやっていることも立派な柔術であるという自負があると聞きます。

こういった状況が生まれて以来、「
NO-GIの知識や技術しか持たない者に帯を与えるべきではない」という意見を耳にする機会が増えました。私も以前はその意見に大いに賛成しておりました。しかし一方で「道衣の知識や技術しか持たない者に帯を与えるべきではない」という意見を聞く機会はほとんどありませんでした。その意味ではバランスを欠いた議論であったと今は思わざるを得ません。

理想の柔術家とは果たしてどのような能力を身に付けた者を指すのでしょうか。

少し話がそれますが、私の修行時代を思い返してみますと、ブラジル国内では「ブラジリアン柔術」という表現を耳にすることはあまりなく、単に「柔術(ジュウジュツ)」と称するのが一般的でした。一説には
IBJJFが柔術の競技化と国際化を進める段階で、その特性とルーツをいわゆる伝統的な柔術と混同されないよう、ブラジリアン柔術という名称を一般化させたと言われています。

現在、柔術が持つイメージはとても幅広く、各国ごとまたはアカデミーごとに認識や概念は多様化し、またその全てが正しいと言えると思います。一つのアカデミー、一人の指導者ごとに理念と技術は完結しえるものだと思います。

しかしながら大きな区分けとしてはやはり2つの柔術の存在しており、一つはグレイシー一族を祖とする柔術であり、もう一つは
IBJJFが競技として推し進めている柔術であると思われます。

前者の柔術は、師から弟子へと受け継がれてきた柔術であり、世界に現存する全てのアカデミーが、その理念や技術について何らかの影響を受けていると言えるでしょう。

後者の競技としての柔術をあえて「ジュウジュツ」と表現するならば、ジュウジュツにおける帯の色分けは、競技における単なるカテゴライズに過ぎず、現に
IBJJFが帯の承認権を各アカデミーの指導者に委ねている以上、道衣とNO-GIはそれぞれのキャリアのみで帯の昇格を果たしていくことも是とされているということです。

私は
JBJJFの役職に就くものとして、IBJJF首脳陣とはこれまで何度も帯制度について議論をし、少なからず自分の意見を述べてきましたが、IBJJFが競技として確立しようとしている制度と、アカデミー代表者としての彼らの個々の柔術理念は、やはり異なるものでした。柔術とジュウジュツの違いは当然あるもので、その統合性をあえて求めるものではないと今の私は考えています。どのような柔術家を育て、如何なる適性を考慮して帯を授与するかは、まさに各アカデミーの指導者が責任を担っていくものなのです。

さてトライフォースにおいては、私はまぎれもなく競技としての柔術を主として教えています。従いまして私が帯昇格を検討するに当たっては、生徒が
IBJJFにおける「ジュウジュツ」で能力を発揮出来るかどうか(実際に試合に出場するしないに関わらず)という目線で査定していることに気付きます。今回帯制度を考察する事によって改めてそれを確認出来ました。それはこれからも変わる事がありません。

私個人としましては、道衣の練習と
NO-GIの練習は、相互が補完し合い柔術の技術をより高みに到達させるものと確信しておりますので、トライフォースにおいては、まずは道衣での練習を基本として、その技術をNO-GIでも応用出来る能力を求めたいと考えています。

また私には、カーロス・グレイシー先生、カーリー・グレイシー先生、そして平直行先生へと受け継がれてきた大切な柔術の理念と技術があります。護身術はその一つです。私自身は、柔術を伝道していく一人の指導者として、今後もこの理念と技術の継承を怠ることはありませんが、競技者の皆さんにその履修と習得を義務化する事にはそれほど重要性を感じていません。トライフォースにおける最高位の指導者資格を望む者にのみ、その習得を推奨していこうと思います。

後になりますが、アカデミー内においてIBJJFのルールを想定し、競技の中で能力を発揮する為の練習を生徒に課す以上、「柔術の上級者=MMAに即応可能」という方程式は少なくともトライフォースにおいては成立致しません。そこに護身の理念と技術がプラスされ、なおかつそれを実用レベルにまで高めるトレーニングが不可欠であるという事を申し加えておきます。

以上になります。

トライフォース柔術アカデミー総代表
早川光由

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